モナco's diary 〜天に宝を積む生活

日々の生活を丁寧に祈るように生きる・・・ってか⁈♪( ´θ`)ノ

足元をみる

足元をみる

 

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)v

世界では日々情勢が変動しています。

日本は島国のせいもあるかもしれませんが、

紛争、暴動が起きていない平和な日々が続いていると

他国で起きている情勢がどうなっていても

他人事のように感じていらっしゃっる方もいるのではないでしょうか?

まさに「対岸の火事

そう感じているのでしたら、とても悲しいこと・・・

 

残念ながらどこかでいつも紛争、内乱が起きています。

特にここ数日、世界は緊迫した情勢が続いていますが、

皆さんはどのくらいの関心があるのでしょうか?

私達には関係ないことなのでしょうか?

私達には何ができるのでしょうか?

「祈ること、募金活動すること」できますよね。

 

実はそれに加え、私達にも紛争を防げる活動ができるのです。

「それは、

日々の生活の中で怒り、嫉み、妬み、僻みをなくすこと」です。

 

「ひとりひとりの心のあり方」が大事になってきます。

 

人間ひとりひとりの怒りの感情が身近な人間関係の怒りとなり、

身近な人間関係の怒りが国の怒りとなり、

国の怒りが世界の怒りへ繋がるのです。

どこにでも起こり得ることになります。

どの人でも未熟な部分はあります、オンパレードです。

その中でも怒り、嫉み、妬み、僻みはなかなか克服できない大きな課題。

大なり小なりありますよね?

モナcoにもあります、なかなかの手強い相手です。

苦戦している修行です。

 

だからと言ってそのままにしておくこともできません。

だって、ひとりひとりの心の有り様で世の中が決まるとわかっているのですから。

何かの宗教の考えではありませんよ。

 

以前に話した「ブーメランの法則」覚えていらっしゃいますか?

怒りが怒りを呼ぶ、僻みが僻みを呼ぶ

喜びが喜びを呼ぶ。

みなさん経験ありますよね?

 

対人であっても世界であっても規模さえ違えど原理は同じ。

 

日々の私達の心の有り様ですべてが決まる。

とても簡単に見えて難しい。

まずは自分の足元から始めてみませんか?

 

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

 

 

 

家族という学び場

家族という学び場

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)b

「家族、family」とは「生活を共にする共同体」

楽しいことも大変なことも家族で経験と感動を分かち合っていく。

 

スピリチュアリズムの観念では「子供達は親を選んで生まれてくる」

と考えます。

人は何かしらの課題を持って生まれてきます。

自分に足りない部分や悪い癖です。

子供達は、自分にとって必要な課題を与えてくれる親を選んで生まれてきます。

「子供に対して暴力を振るう親」とても辛いことですが、

「乗り越える勇気・自立」を学ぶことが課題の子供なのかもしれません。

地位や名誉ばかり気にする親の元に生まれれば、地位や名誉だけがすべてなのか?

「本当の自分の価値について」を学ぶ課題なのかもしれません。

 

親も子も家族は「学びの同志」

ただ、生まれてきた順で考えると「親が先輩」で

「子が後輩」と言ったところでしょうか。

そう考えると親の口うるさいことも

学校にいる先輩の言うことだととらえたら、

もう少し違う受け入れ方になるのかもしれませんね。

 

先輩はあくまで先輩であって後輩の将来まで色々と指図はしません。

先輩の意見は参考であり、先輩(親)は後輩(子供)の人生に決定権はありません。

こんな学校に行きなさい、就職先はここがいい、結婚しなさい…。

「自分のことは自分で決める。」

そしていつかは巣立つことになる。

自分の足で歩いていく、ずっとは居られないのです。

先輩だって課題はあります、日々の中で何を学ぶのか?

ぼけっとしている場合ではないですよ(笑)

 

結婚をして別の家族ができれば、

違う学校へ編入したようなもの、新しい課題へ取り組みスタートです。

基本的に人は愛すること(大我)が苦手ですからね、

じっくりと学んでいきたいものです。

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

 

 

 

図星だからねぇ

図星だからねぇ

 

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)g

誰かの言葉で傷つくことは大なり小なりあります。

カッとなってしまったり、ずっとそのことを引きずってしまったり、

ついつい感情的になってしまう。

なぜ、感情的になってしまうのでしょうか?

なぜ、傷ついてしまうのでしょうか?

 

それは「図星」だからです。

 

もし、図星でなければ相手に何を言われようとも全く気にならないはず。

目の前を通り過ぎていくだけのことで痛くも痒くもない。

「本当のこと」を言われてしまうから引っかかってしまうのですね。

 

実はこれこそ、チャンス到来。

自分でも気にしていたこと、意識していなかった欠点部分が浮き彫りになったこと。

「真実の姿を受け止め、これから自分はどうしたいのか?」

の分岐点にいるのです。

「私はこのままでいい」のであればこのまま。

「そうか、私は変わる!」のであれば変わることに精進すればいい。

いいチャンスをいただいていると理性で受け止めましょう。

 

「原因と結果」

何でも「原因と結果」の法則は付きものです。

誰かにされて嫌な思いをしたのであれば、以前、自分も誰かに同じことをしていた。

まるでブーメランのように。

攻撃された相手にまた攻撃すればブーメランのように自分にまた返ってくる、

堂々巡りですね。

腹を立ててしまうのは、思い当たる節があるから。

思い当たる節がないのであれば放っておくのが一番です。

悪しきブーメランは投げてはいけません。

 

ただ、このブーメラン、

良いことにも使えますので、どうせ投げるのであれば

善きことのブーメランを投げたいものです。

 

腹を立てるのは時間の無駄。

また、「どうしてわかってくれないの?」と責め立てるのも時間の無駄。

状況を変えたいのであれば自分が変わることが一番早くて、確実。

あなた自身が変わるしかないのです。

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

 

天照大神と音楽

天照大神と音楽

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)y

日本神話の最高神で、皇祖神・太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)。

ご自宅に神棚があれば真ん中に祀られているお札「天照皇大神宮」の神であります。

 

モナco、学生時代はずっと吹奏楽での活動をしていまして、

たくさんの楽曲を演奏してきました。

その中で一番印象的で今でも忘れなれない楽曲が

大栗裕先生作曲の「吹奏楽のための『神話』-天の岩屋戸の物語による」です。

 

「天の岩屋戸の物語」

日本神話をご存知の方にはとても有名なお話ですが、

天照大神が弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)の乱暴な行いに胸を痛め、

天の岩屋戸(アメノイワヤド)にこもってしまいます。

太陽神である天照大神が岩戸に閉じこもってしまうということは、

陽が照らなくなるということ。

世界は暗闇の世となってしまいました。

困り果てた神々は天照大神を岩戸から出す作戦を考えます。

美味しい食事、楽しい踊り…

祭りをしてこちらへ誘い寄せます。

外の楽しそうな様子が気になり岩戸を開けた天照大神

ここぞとばかりに引き出されてしまいます。

 

この一連のストーリーを作品にした曲が

吹奏楽のための『神話』-天の岩屋戸の物語による」です。

 

当時のモナcoは岩屋戸のストーリーに興味がさほどなかったせいか、

バンマス(指揮者などバンドをリードするバンドマスターのこと)に説明されても

「太陽の神を岩戸から誘い出す」くらいの解釈しかなかったです。

曲の背景を想像するには少し知識が足りなかったようです。

今は日本神話について知ることができているので、演奏することができるなら

当時よりはもっと感情移入して演奏できたと思います。(笑)

 

もし興味のある方、

Youtubeに演奏された曲がたくさん投稿されていますので、

ぜひ視聴してみてください。

日本神話の、ほんの一部分のストーリーをカタチにした曲ですが、

きっと感慨深いものになると思いますよ。

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

 

youtu.be

引用元:キャッスルウインドアンサンブル事務局 「吹奏楽のための『神話』-天の岩屋戸の物語による」より

 

キャッスルウインドアンサンブル事務局

 

子供は大人の映し出し

子供は大人の映し出し

 

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)e

子供達の世界、モナcoの時代と比べるとガラッと変わってしましました。

 

不登校の生徒が増えた。

陰湿なイジメが起こっている。

子供とは言え、様々な事柄が入り混じり、

複雑な環境下で生活をしているようです。

 

「子供だからこんな事あるあるよ」と一言ですましていいものなのでしょうか?

 

「大人の世界」は密接に子供社会に関係しています。

子供達は常に「大人」をお手本にしているのです。

しかも身近な大人を。

情報をどこからでも得られる世の中ですが、

実は一番の情報取得先は「親(家族)・身近な大人」なのです。

 

よく「此の親にして此の子あり」なんて言葉があります。

もうまさにその通り。

ママ友同士の会話の内容、夫婦の会話、思い出してみてください。

平気でその場にいない人の噂話、特に皮肉まじりの会話。

パートナーに過激な発言。していませんか?

子供の前で。

 

子供達はしっかりと聞いて、しっかりとマネをしています。

だって、大好きなお父さんやお母さんがしている事ですから、間違えない!!

そう自然に頭にインプット(自分の中に取り込むこと)されていきます。

そして忠実にアウトプット(取り込んだことを実践すること)していきます。

 

ですから子供社会のいじめを無くしたければ、

大人社会のいじめを無くさなければいけないのです。

 

すぐにキレる子供を無くすには、

キレる大人を無くさなければいけないのです。

 

ということは、逆をすれば逆の結果が生まれるということになります。

他人の粗探しをするのではなく、素敵な部分を探す。

考え方が違う者同士なのは当たり前。

意見の衝突で喧嘩をしてしまったら、仲直りをするところまで子供達に見せる。

 

トラブルの子供達をどうにかする対応だけでは上面だけの対応となってしまいます。

本当にどうにかしたいのであれば、大人の心持ちがどうなのか?

大人である私達には「プライド・誇り」があるのかどうか?

根底の部分は「私達大人の言動」なのです。

残念ながらあっぱれ!と思うような「プライド・誇り」の持ち主、

最近ではみかけませんね。

 

子供達は大人の背中をしっかりみています。

「恥ずかしくない大人でいたい」いつもそう心がけています。

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

お客様精神

お客様精神

 

ごきげんよう、モナcoです(''ω'')ノ

誰にでも、お客様の経験ありますよね?

「お金を払う=サービスをうける」

「お金をいただく=サービスを提供する」

という関係で成り立っていると思いますが、

対価をいただいてサービスを提供をする。

まぁ、当たり前といえばそうですね。

 

お金が発生しない事柄でも「お客様スタイル」の方、

結構みかけます。

何でも「待ってばかりの人」です。

してもらうことを待ってばかりの癖がついている人は「怠け者」です。

 

例えば、何かわからない言葉があったとする。

すぐに「誰かに聞いてしまう」

一見、なんともなさそうな事ですが、そう思った方、ちょっと赤信号かも。

情報社会の世の中ですよ。

すぐに自分で調べることもできるはず。

 

「この言葉わからない」

「あっ、本棚の辞書で調べよう」

スマホでも調べられる」

「引用方法、類義語までわかった」

という行動をとるべき。

なのに、

「この言葉わからない」

「あっ、本棚の辞書あるかもしれないけど、面倒くさい」

「周りの人にきいちゃえ」

の面倒くさがり人が多いこと、多いこと。

ほんと、「面倒くさがり人」増えましたね。

 

そう、

考える癖がなくなってしまっています。

子供達が親の言うことばかり聞いている「指示待ち症候群」も同様です。

 

自分で考え、選び、動くこと

「不幸になる人の条件」の中に「考えない」があります。

考えない人は不幸を作ります。

なので考えない人は相当の問題なのです。

人として生きているいじょう「考えないは罪」ですよ。

 

「考える」ということは「生きる」にも繋がります。

生きるということは「無知」をどれだけ「知」に変えるかです。

オセロを黒から白へどれだけ返しているか?

お客様精神主義にいつの間にかなってしまっている方、

これから先はオセロの石をひとつでも多く返せるよう心掛けてくださいね。

 

 

「あかきこころ」のモナcoでした。

 

 

くさぐさ(種々)サプリメント 〜結び 編〜

くさぐさ(種々)サプリメント 〜結び 編〜

ごきげんよう、モナcoです(๑˃̵ᴗ˂̵)f

心(魂)を癒すサプリメントとしていくつかあげてきましたが、

要は「本物に触れ、いかに心に響いたか。」

なのです。

 

私達の中には誰にでも神が宿っていると言われています。

では、その証拠は?

 

人は本当に心に響いた時「感動」します。

心が震えます。

涙を流してしまうことさえあります。

これが「私達が私達の中にいる神に触れた」なのです。

私達が神を確認する回数が増えれば増えるほど、

心が健康(平穏)でいられるのです。

 

太陽の光、水の温冷、土の香り。

人間にとって自然とのふれあいは絶対に必要なことです。

私達人間のエナジーは、自然のチカラでしか得ることができないのです。

自然には必ず精霊がいます。

海、山、植物…。

自然の精霊を大切にする心、マナーがないと

エナジーを分けてもらうことができません。

見えないものに対しての敬いは昔話ではなく今でも大切なことなのです。

 

心を癒すサプリメントには、

「お守り・お札」も含まれます。

「有名な神社で分けていただいた(購入した)お守りが絶対に効くから

肌身離さず持っている。」

なんて方、いますね。

「肌身離さず」はいいと思いますが、

「100%守ってくれるもの」という頼りきった考え方はいかがかと?

今まで紹介してきたサプリメントも一緒ですが、あくまでも

「サプリ=補助」ということ、お忘れなく。

「自分で努力した、行動した」中で足りない部分を補ってくれるアイテムです。

何もしていない、すべてパワーストーンやお守り任せ

という考え方では本末転倒ですよ。

軸は自分軸です、サプリ(他力)軸ではいけませんね。

 

こうしてみると私達はやはり人間だけでは生きていけません。

自然界のチカラには敵(かな)いません。

今一度、自然界との共存を心に留めていていただきたい。

そして、生活の中で本物に触れる回数がどれだけあるのか?

 

「神に触れる生活」をしていきましょう。

 

 

「あかきこころ」のモナcoでした。